東山で楽しむ

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東山を歩いて楽しむ ~東山かるた巡り
東山区内には、神社仏閣などの歴史的・文化的資源が数多くあり、まち全体が博物館のようです。
東山区には、この東山の魅力を色とりどりに描いた「東山かるた」があります。
今回は、その「東山かるた」をご紹介します。

※「東山かるた」は、東山の魅力を多くの皆さんに知っていただくため、区民の皆さんと東山区役所が協働で制作した「カルタ」です。

わ ら や ま は な た さ か あ
「あ」汗ふきつ選ぶ楽しさ陶器市  
汗ふきつ選ぶ楽しさ陶器市

 毎年、若宮八幡宮社の陶器大祭が8月8日に行われる。7日から五条通一帯に、地元清水焼はもとより全国の陶器商がテントを並べ、特に暑い京の夏の風物詩で、大勢の人々で賑わう。売り手と買い手の絶妙な値段交渉もまた楽しい。(六原)


「い」新日吉神宮は阿吽のお猿がお出迎え  
新日吉神宮は阿吽のお猿がお出迎え

 新日吉神宮は、後白河法皇により永暦元年(1160年)に創建された。信仰深かった近江の日吉大神を勧請し祀った。
 また、本殿前に安置されている阿吽のお猿は、大神の使者で信者の災禍を去るという不思議な働きをすると言われ、描かれ、神宮の宝物としても伝えられている。(修道)


「う」売り声に窯元にぎわうさくらまつり  
売り声に窯元にぎわうさくらまつり

 日吉窯元まつりは、毎年3月下旬~4月上旬の土・日曜日に、智積院南側の坂道を上がった辺りの、日吉町、南日吉町一帯で、窯元をはじめ約60店舗がテントを張って一堂に清水焼を販売する。今年は3月27日、28日に開催。近辺の窯元を巡るスタンプラリーも催され、桜の季節なので「さくらまつり」ともいう。(今熊野)


「え」円徳院桃山時代の風薫る  
円徳院桃山時代の風薫る

 豊臣秀吉の亡き後、大坂城を出た北政所ねねは京都御苑に身を移した。秀吉の冥福を祈るため高台寺の建立を発願し、伏見城の化粧御殿と庭園を移し、住み始めたのが、円徳院の始まりである。
 ねねの終焉の地として有名で、また、枯山水の庭園は豪壮な桃山時代の面影を今に伝えている。(清水)


「お」応仁の炎も逃げるクスノキよ  
応仁の炎も逃げるクスノキよ

 応仁の乱で、都中が炎に包まれ、あらゆるものが燃えた。
 しかし青蓮院の楠は燃えなかった。真実なのか、作話なのか。それは不明だが、真実だと思わせるパワーが、この木からはあふれ出ている。(粟田)


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「か」神代より型もいろいろ伏見人形  
神代より型もいろいろ伏見人形

 全国にある90余りの土人形の中で、伏見人形の系統をひかないものがないといわれる程の元祖的な存在で、伝わっている原型、土型は二千種余りで、風俗や伝説を表現し、心なごむ素朴さがある。
 たった一軒残る窯元の「丹嘉」は、寛延年間の創業で、現在、七代目に当たる。(月輪)


「き」教科書でおなじみ空也ここにあり  
教科書でおなじみ空也ここにあり

 静かな住宅街の中、突然目の前に現れ、丹塗り(黄を帯びた赤色)の建物が六波羅蜜寺。
 ここには、びっくりするような宝物がたくさんある。誰もが一度は日本史の教科書で目にする有名な空也上人立像(鎌倉時代・重要文化財)など、藤原(平安時代中・後期)・鎌倉期のすぐれた仏像が多くある。(六原)


「く」首塚に秋風あわれ桔梗紋  
首塚に秋風あわれ桔梗紋

 「桔梗」は、明智光秀の家紋。本能寺の変後、山崎の戦で豊臣秀吉に敗れ、近江の坂本城に逃げる途中、農民に襲われ自刃最後を遂げた。家来が光秀の首を落とし、知恩院の近くまで来て夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝わる。
 桔梗の凛とした姿と寂しさが光秀の宿命と重なる。(粟田)


「け」月真院に文人愛でる萩、椿  
月真院に文人愛でる萩、椿

 「清水へ 祇園をよぎる・・」と詠われたねねの道沿いにある萩と椿が有名な寺である。
 西郷隆盛や坂本龍馬も訪れたという2階の隠し部屋は今も健在で、庭には、織田信長の弟「有楽斎」が植えた樹齢六百年の椿があり、時代を超えて咲き続けている。(清水)


「こ」今週も白川沿いでサスペンス  
今週も白川沿いでサスペンス

 白川沿いの祇園新橋周辺は、作家山村美沙「京都○○サスペンス」を始め、数々のテレビドラマでお馴染のスポット。
 白川沿いを歩いていると、運が良ければ撮影現場に遭遇することもしばしばで、芸能人に出会えたり、撮影風景が楽しめたりできる。(有済、弥栄)


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「さ」産寧坂二年坂 一年坂を経て ねねの道  
産寧坂二年坂 一年坂を経て ねねの道

 産寧坂は清水寺参道の途中、左側円山公園に向かう道、町家や石畳の坂道等京都観光の代表地区。
  産寧坂から続く二年坂一年坂の両側には、みやげ物店、清水焼・甘味処と、子ども女性に喜ばれ、ねねの道へと続く。運動不足の人は身も心も癒される散策コース。早朝も良し、夕暮れも良し、人混みもまた楽し。(清水)


「し」壽延寺の 蓮に立たれる 大黒天  
壽延寺の 蓮に立たれる 大黒天

 大黒町通松原下る西側に壽延寺がある。
  安置されている「油涌大黒天」に因んで通り名と町名がついたという。蓮の上に立つ大黒天は、珍しく現在の俵の上に立つ姿とは異なる。
  またここには、牛若丸と弁慶ゆかりの十禅寺社森跡の碑がある。(六原)


「す」数百段 ひざが笑うや 豊国廟  
数百段 ひざが笑うや 豊国廟

 慶長3年(1598)、63歳で伏見城にて死去した豊臣秀吉の墓で、ここ阿弥陀ヶ峯に葬られる。
  峯の頂上の五輪塔までは約500段の階段で、相当にきつい。でも緑いっぱいの中の静けさや眺望はかえがたいものである。現在の墓や社殿は、明治31年(豊太閤三百年祭)の再建である。(今熊野)


「せ」清閑寺 霞む扇は 京の町  
清閑寺 霞む扇は 京の町

 清閑寺の庭から京都の町を見渡すと、「要石」と呼ばれる石を要に、山肌に囲まれた街がまるで扇のような形に見える。
  昔は山科方面から京都に出る時、ここから初めて京都の街が見えたので、一つの名所となっていたという。(修道)


「そ」早朝に 祈りをささぐ 耳塚に  
早朝に 祈りをささぐ 耳塚に

 午前6時過ぎ豊国神社正面通りに人がにわかに増える。
  早起きの人々が、神社や耳塚(秀吉朝鮮出兵の折、武功の証として送った耳や鼻を集め埋葬した塚)に手を合わす姿を見る。「祈る姿」に国境は無いのである。(貞教)


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「た」たばこ発祥 明治のいぶき 赤レンガ  
たばこ発祥 明治のいぶき 赤レンガ

 明治時代、当時の資産家村井吉兵衛による、我が国最初のたばこ工場として知られる。
 日の光を受けて照り輝く外観は、レンガ一つ一つが微妙な色彩を醸し出しており、とても印象的である。
 残念ながら現在はその姿はみることができない。(修道)


「ち」茶の花や 建仁寺垣の 竹の技  
茶の花や 建仁寺垣の 竹の技

 建仁寺で初めて用いられた囲い垣の一種のこの垣は、四つ割り竹を垂直に皮を外側に隙間なく並べ、竹の押し縁を水平に取り付け、しゅろ縄で結んだもので、建仁寺垣といわれる。
  庭内には茶の木が多く植えられ、秋には可憐な白い花を付ける。(新道)


「つ」釣殿井 平家邸跡 しのばれる  
釣殿井 平家邸跡 しのばれる

 妙順寺の境内に「釣殿井」という井戸があり、その昔ここより平家一門の邸宅が建ち並び、建礼門院が安徳天皇の産湯に使った井戸が釣殿井であったという。(六原)


「て」天空に 鶴舞い踊る 祇園閣  
天空に 鶴舞い踊る 祇園閣

 大雲院境内にあり、昭和3年大倉喜八郎(鶴彦翁)氏が御大典記念に建立されたもの。
  祇園祭の鉾の外観をしており、東山山麓にあり市内が一望できる。尖塔の先に飾られている鳥は孔雀か鳳凰のように見えるが、実は鶴であり、鶴彦翁に因んで作られた。(弥栄)


「と」轟川 鬼を退治に 一寸法師  
轟川 鬼を退治に 一寸法師

 一寸法師が、お椀の船と箸の櫂で渡ったと言われる轟川。
  昔は、華頂山と高台寺山の間から流れる菊渓川と清水音羽山からの轟川が合流し、今の下河原周辺が一面の川原であったそうだ。轟川の水質は清澄、お歯黒蜻蛉が飛び交う光景が懐かしいと、付近の人は今もつぶやく。(清水)


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「な」なすありの径 花に浮かれて 心はずむ  
なすありの径 花に浮かれて 心はずむ

 平成10年、白川北通(東大路通~花見小路通)の道路改修工事完成を記念して「なすありの径」と名付けられた。
 「なすあり」とは、有済小学校歌の「耐えて忍べば済す有り」に因んで、「何事も努力すれば成し遂げられる」(中国の書経)という意味で、桜の頃には、たくさんの人で賑わう。(有済)


「に」にぎわって 古美術眺める 新門前  
にぎわって 古美術眺める 新門前

 新門前通は、縄手通から東大路通に至る東西の路。三条通と四条通のほぼ中間に位置する。
 知恩院の門前町として発展したが、明治の中頃から骨董品店や美術商が軒を連ね、通りのシンボル「ダルマ」から、別名「ダルマストリート」と呼ばれ、現在も美術工芸関係の店が多い。(有済)


「ぬ」ぬけ道を 京の風知る 切り通し  
ぬけ道を 京の風知る 切り通し

 四条通から北、富永町・末吉町・白川新橋を経て、古門前通まで抜ける通りを切り通しという。
 江戸の頃、多くのお茶屋が建ち並び大変な賑わいであった。切り通し以外にも「くらがり」など昔のままの路地があり、辺りには古い町並みが残り、当時を想う事ができる。(有済、弥栄)


「ね」寝転びて 戦国の世と 向かい合う  
寝転びて 戦国の世と 向かい合う

 養源院本堂にある血天井。これは、伏見城落城時に鳥居元忠らが城を死守し、最後に自刃した廊下の板を天井としてその霊を弔ったものである。また、その霊を慰めるために俵屋宗達が杉戸に描いた絵には象・獅子・麒麟などが描かれている。
 血天井と向かい合い、当時を忍ぶのもまた一興である。(一橋)


「の」昇り龍 天井かざる 瀧尾宮  
昇り龍 天井かざる 瀧尾宮

 洛東聾が谷にて応仁元年の乱で焼け日吉坂に移り、天正14年(1586)方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたのが創建の由緒と伝わる。
 京の豪商下村家(大丸百貨店創業)の崇敬厚く、現在の社殿も援助により造営。龍(拝殿)、十二支(東西廊)、神申(本殿)など彫刻装飾の多彩さは、珍しい。(一橋)


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「は」春風に 三つ輪もゆれる 京おどり  
春風に 三つ輪もゆれる 京おどり

 「京おどり」は、毎年4月上旬~中旬にかけて宮川町歌舞練場で行われる。
 京都五花街それぞれにおどりはあるが、その町ごとに提灯に異なる紋が描かれている。
 「京おどり」を舞う宮川町の紋は「三つ輪」である。(新道)


「ひ」東山 過去も未来も まるごと博物館  
東山 過去も未来も まるごと博物館

 「まるごと博物館」とは、この東山かるたの作成に携わった「東山・まち・みらい塾」第2期の活動テーマ。
 東山地域全体を博物館と据え、古い歴史を持つ東山の様々な魅力を未来へ伝えていこうという活動である。


「ふ」古き良き 温もりあふれる 商店街  
古き良き 温もりあふれる 商店街

 古川町商店街は、北は三条通から南は「知恩院」古門前通辺りまで、250メートル程続いている。
 1歩入ると、八百屋や魚屋、総菜屋などが建ち並び、タイムスリップしたかのように感じる。また、アーケードは、瓦屋根のかかったちょっと和風なデザインである。(粟田)


「へ」平成の 世の中救って ゑびす様  
平成の 世の中救って ゑびす様

 「商売繁盛で笹持って来い」の掛け声が賑やかな、十日ゑびすで有名な恵美須神社。
 栄西禅師が宋からの帰国時に嵐に遭い、波間から現れた恵美須神に一心に祈ったところ、嵐がおさまったという。(新道)


「ほ」ほんとうは 六十五間余りなり 三十三間堂  
ほんとうは 六十五間余りなり 三十三間堂

 長寛2年(1164)に後白河法皇が、平清盛に命じ創建する。正式には「蓮華王院」という。
 堂内の一千一体の千手観音立像の荘厳さは息をのむ見事さで、風神や雷神、二十八部衆立像などの国宝も貴重。本堂の長さは六十五間余りで、本堂内陣の柱間が33なので三十三間堂。(一橋)


「ま」魔物とて 猫も描かれ 涅槃の図  
魔物とて 猫も描かれ 涅槃の図

 涅槃図に、釈尊入滅を悲しむ動物とされる猫は描かれないが、東福寺の明兆作涅槃図には、珍しく猫が描かれている。
 涅槃図を書いている明兆のもとに猫が絵の具をくわえて現れ、それを献じたため、それを喜んだ明兆が描き加えたという。(月輪)


「み」南座に 歌舞伎のたえず 阿国像  
南座に 歌舞伎のたえず 阿国像

 出雲阿国が始めた歌舞伎により、古くから芸能が盛んな四条河原は、その東側に芝居小屋が建ち並び芝居街となっていく。
 江戸時代にあった七つの芝居小屋は、今では南座のみである。しかし、歌舞伎の興行には多くのファンが集まりその人気は変わらない。(弥栄)


「む」無病息災 剣神社の 石撫でて  
無病息災 剣神社の 石撫でて

 伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことらを祀っている剣神社。その大鳥居前に「撫で石」はある。この石に触れた手で身体の悪いところを撫で、霊験をいただいたという。
 現在は子供の疳(かん)の虫除け祈願でも知られ、飛魚の絵馬が奉納される。(今熊野)


「め」目を病んで 初めて知った 目疾(めやみ)地蔵  
目を病んで 初めて知った 目疾(めやみ)地蔵

 南座の前を東に大和大路を渡ると、右手に仲源寺(目疾地蔵)はある。
 門をくぐると、本殿の奥に大人の倍ぐらいの大きさの木彫り地蔵が座っている。玉眼入りで、ほの暗い堂の中で玉眼が潤んで見え、あたかも風眼(はやり目)にかかっているようで、眼病平癒の地蔵にはふさわしい。(弥栄)


「も」もちは消え 鐘は残りて 方広寺  
もちは消え 鐘は残りて 方広寺

 方広寺に大坂冬の陣の引き金となった「国家安康 君臣豊楽」の銘が入った重さ約82トンの鐘が今もある。また、江戸中期に「大仏餅」(小豆のこし餡を入れた白餅)という味が良くて煮ても溶けない名物餅があり、全国に知られていた。残念ながら、店は第2次世界大戦後廃業し、今は名物餅を口にすることはできない。(貞教)


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「や」山の端に 煩悩はらう 除夜の鐘  
山の端に 煩悩はらう 除夜の鐘

 知恩院の大銅鐘は、日本三大梵鐘(知恩院、方広寺、東大寺)の一つで、重さ約70トン、幅約2.8メートルもの大きさである。
 除夜の鐘は、17人の僧侶により撞かれ、約30人の僧が交替で2時間かけて撞かれるそうで、その澄んだ音は京都の大晦日の夜に美しく響く。(弥栄)


「ゆ」悠久の 歴史伝える 御神木  
悠久の 歴史伝える 御神木

 東大路通の今熊野バス停を南へ行くと大きな樟が目に入る新熊野いまくまの神社。
 後白河法皇の仙洞御所法住寺殿内に熊野三山より勧請して創建。御神木の樟は高さ約21メートル、周囲約6メートルもあり、後白河法皇のお手植と伝えられている。(今熊野)


「よ」「栄西」「ようさい」と 川より上がる 陀羅尼鐘  
「栄西」「ようさい」と 川より上がる 陀羅尼鐘

 その昔、六条河原院の邸宅にあった大きな鐘が、洪水で鴨川に流されてしまった。川底にある鐘を建仁寺開祖の栄西禅師が人に頼んで引き上げようとしたが、なかなか上がらず、そこで「栄西」「ようさい」と掛け声をかけたところ川より上がったという。(新道)


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「ら」ランドセル 夢の浮橋 通学路  
ランドセル 夢の浮橋 通学路

 一橋小学校校門から泉涌寺道を東へ行った所にある史跡。
 源氏物語宇治十帖からとった名で音無川にかかる朱塗りの橋であった。終戦直後に取り壊され今は橋の名残もないが、擬宝珠2基が一橋小学校の校庭北西隅に一の橋と共に保存されている。(一橋)


「り」竜吼えて 八坂本殿 守りたる  
竜吼えて 八坂本殿 守りたる

 八坂神社本殿、東入口の柱から西に向かい拍手かしわでを打つと「びぎぃーん」と天井が鳴る。これが竜吼または鳴天井と呼ばれ、本殿は2つの建物を1つ屋根が覆いその空間が響くからといわれる。
 青竜は四神の一つで東方を守る守護神。八坂神社は東方に位置し、本殿の下には池があり竜穴があるという。(弥栄)(「東山探見」に一部記述あり)


「る」累々と 東山三十六峰 今も変わらず  
累々と 東山三十六峰 今も変わらず

 京都は三方を山に囲まれている。東山が西山北山と違う点は、街に近く市民に親しまれやすい山である事。
 三十六という数はたくさんという意味もあるが、各々の山に名前が付いている。幕末の頃、山の手入れが出来ず荒れ果てたが、今は緑豊かな景観が人々を和ませている。


「れ」歴代の 皇族ねむる 泉涌寺  
歴代の 皇族ねむる 泉涌寺

 はじめ仙遊寺と呼ばれたが、月輪大師(がちりんだいし)が開山の時清泉が涌き出したことから、泉涌寺と呼ばれる。この頃より多くの人の尊信厚く、崩御された四条天皇の御陵造営から約七百年間、歴代の皇族の廟所として知られる。
 新春の七福神詣りや涅槃会の時は多くの人々で賑わう。(月輪)


「ろ」ろくろひき 紅葉まつりで 陶芸体験  
ろくろひき 紅葉まつりで 陶芸体験

 泉涌寺窯紅葉まつりは、泉涌寺と東福寺の間で50軒余りの窯元が毎年11月の第3土・日曜日に開催している陶器まつりである。
 スタンプラリー、工房見学があり、無料のろくろ体験が魅力の陶器まつりである。泉涌寺、東福寺の紅葉が美しい季節で観光客も多く賑わう。(月輪)


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「わ」わらべうた 昭和も焼けて 京の大仏  
わらべうた 昭和も焼けて 京の大仏

 大仏といえば、奈良や鎌倉を連想するが、京都の方広寺にも大仏があった。秀吉建立の初代大仏と秀頼再興の二代目銅像は地震で崩壊。童歌「京の京の大仏つぁんは天火(雷火)でやけてな…」は三代目。そして、四代目木造半身大仏も昭和48年に焼失と、災難続きの京の大仏と童歌は、京都を愛する人々の心のみに生きている。(貞教)


「を」をんな坂 華やぐ乙女ら 道あふれ  
をんな坂 華やぐ乙女ら 道あふれ

 東山七条から、智積院と妙法院の間の坂道(豊国廟参道)を東へ進むと、坂道に沿って「京女」こと京都女子学園の中学校、高等学校、大学の校舎が建ち並ぶ。
 登下校時に多くの女性で賑わうため、いつからかこの坂を「女坂」と呼ぶようになった。(修道)


「ん」「ん」となっとく 甚五郎作 目無し鶴  
「ん」となっとく 甚五郎作 目無し鶴

 豊国神社唐門(伏見城の遺構)の彫り物は有名な彫り物師左甚五郎作だと伝わる。
 まるで生きているようで、どこかへ飛んで行くと困るので、鶴の彫り物には目が入っていないという。(貞教)


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